前置き
この文章は知人からのメールでの相談に自分が回答したものです。相談の内容は出産後旦那とのセックスが生理的に嫌になったという内容です。

ストーリー
確か小学4,5年生ぐらいの給食の時間にあったこと。隣の女の子が何かのおかずに入ってたシイタケを残してた。当時は給食完食してないのが先生に見つかった ら、怒られたよね。少なくともオレの学校ではそうだった。中には全部食べ切るまで昼休みを取らせてもらえなくて、無理やり食べてゲロ吐いてる子も何度か見 たぐらい。だから、給食残すのはそれなりの覚悟がいる訳。それで、オレが隣の子に「シイタケ嫌いなん。」って聞いたら、その子は「うん、だってナメクジみ たいやから。」って。そういわれてみれば、細長く切られた黒っぽいシイタケはナメクジに似てた。それ以来、しばらくはオレもシイタケを見る度にナメクジを 思い出し、食べられなくなった。それまでも特に好きだったわけじゃないけど、普通に食べれてたのが、鼻をつまんで喉に押し込まないと食べられなくなった。 でも、それから数年も経つと、シイタケを見るとナメクジが頭に浮かぶようなことも無くなって、いつの間にか普通に食べられるようになった。
解説
この話の中で、オレのシイタケに対する認識が三段階に変化してるよね。この給食以前とこの給食以降数年間、その数年間以後と、最初は「特に好きじゃない」 で、それから「大嫌い」に変わって、その後は「まあ普通」と変化したでしょ。オレのシイタケの好き嫌いには変化があったけど、それに対してシイタケ自体は 何も変わってないよね。味も形も匂いもシイタケはずっとシイタケやね、もちろん。料理の仕方によって、味とか形とかは多少違うけど、シイタケの本質はずっ と同じ。
考えてみると、これはちょっと変だなと思わないですか。シイタケは変わらずシイタケであり続けたのに、オレのそれに対する態度は変 化してる。でも更に考えてみると、人間の持つ好悪であったり、善悪の価値観であったりは何かの理由で結構簡単に変化するものじゃないかとも思う。昔は好き だったものが嫌いになったり、絶対に許せないと考えていた事柄でも、「まあ、仕方がない。そんなこともあるよね。」と涼しい顔で言ったりすること。やりた くないけど、仕事だからやっている内に苦にならなくなるとか。初対面では嫌いだったのに、何度か会って色んな面を見ていつのまにか友達になっているとか。
適用
もう分かると思うけど、最初の話を君の状況に当て嵌めると、「オレ」が「君」で、「シイタケ」が「旦那とのセックス」で、「隣の女の子の言葉」が「君の出 産」になるね。勘違いしてほしくないけど、時間が経てばきっとまた「シイタケ」が食べられるようになるよ(因みに上のストーリーはペニスのメタファーとし てシイタケを選んで話を作ったんじゃなくて、実話です。)というような簡単なことではないよ。君はこの先またシイタケを食べられるようになるかもしれな い、嫌いななままかもしれない。でも、それは全て君の認識次第ってこと。「解説」の後半で挙げた価値観や認識の変化はどちらかというと自然に、意識せずに 起こった変化が多い。それじゃあ意識的に認識を変えられるか。たぶんできるはず。まず、過去に君に起こった認識の変化(嫌いだったものが、好きになったと か)の過程を思い出して、その中にパターンを見つける。そのパターンを今度は意識的に行うことができれば、可能かもしれない。
また椎茸が食べられるようになるといいね。











